2009年1月30日金曜日

遅れました。1月25日後援会総会の報告です。

 1月25日の第22回後援会総会の報告です。朝は、吹雪。この冬、一番の冷え込みでした。朝から、「高齢で参加を見送る」との電話が鳴る。参加者が相当減ることを覚悟しました。

 朝9時に会場の葺合文化センターに到着。すでに、手作り料理グループ6人が準備完了。てきぱきと資材を搬入して、盛り付け開始。11時に、写真のような素晴らしい料理が。そのほかにも、すし盛りやおでんなどがあり、これで2000円会費とはあまりに、安価との声も聞こえます。

 今度は、会場設営グループ、なれたもので、机を3台並べ、テイブルクロスをかけ、9セットを作り上げました。例年は10台。今回は、参加減少を見込んで、1セット減に。 

 12時ごろから、今度は風が強まり、雪もちらつく。それでも、続々参加者が。開始の12時30分には会場はほぼ満杯になり、一安心しました。


 総会は、中瀬会長が国政を批判し、いつもながら市政にはふれず。衆議院予定候補の原和美さんの激励に終始。変わった会長で、問題意識は国政に集中。ある意味では、市政とは言いながらすべてが国政の影響を受けているのですから、国政を変えることがまず第一義というのは今一番現実的なのかも知れません。
 次に、原和美さんが、みんなで政治を観賞するのでなく、政治に参加しようと訴え、大きな拍手。また、ろっろう医療生協の小西医師から、現在の医療制度が医療介護難民を作り出していると政治を変えることを強調。

 最後に、登場の私は、司会の娘から、お父さんは話が長いから、短くと釘を刺され、出鼻をくじかれつつも料理を前に15分を熱弁。特に、市長選挙での市民派市長の当選を実現させたい。議会と市長、行政当局の緊張感を作り出すことが神戸市政では一番大事。そのためには、市長を官僚の手から奪うことと主張しました。

 その後、懇親会へ。

 懇親会では、フォーコーナーズが社会風刺の効いた歌演奏。次に、震災後の癒しなどのボランティアに積極的に取組んできた、シンガーソングライターでボイスアーティストである摩耶はる子さんが、自信あふれるステージ。場慣れした落ち着きのある姿に、これを学ばなくちゃと思う。ひばりメドレーのあとはみんなで、ボイストレーニング。会場が一体になり、摩耶はる子さん作詞作曲の「神戸・悠久の友よ」を替え歌にして、「神戸」を「あわはら」に良い言い換え、全員合唱。
 次に、旭堂南陵さんが推薦してくれた、独楽回しの大道芸、ストリートパフォーマンスの池田たかしさんの登場です。 池田たかしさんは、大道芸人のコンテストで数々の賞を受賞。刀や扇子へでの独楽回しに会場は大きく盛り上がる。その技術より、軽妙なしゃべりと、つかみに私はびっくり。大道芸で鍛えたこの能力は、街頭宣伝が勝負の私と似たところが。街頭で人を振り向かせる難しさをこの池田さんは熟知している。このことが、このような素晴らしい芸を育てたと感心しました。

 最後に、抽選を行い総会は終了しました。

2009年1月24日土曜日

今日は朝からおでん作り


明日は、あわはら富夫後援会の22回総会だ。。総会に向けて、おでん作りを朝から行う。朝8時から自転車で事務所に。眠い。体が硬い。事務所から、手押し車を持ち出し、業務スーパーにおでん材料の買出し。100人分が7000円。東雲診療所に持ち込み、ここで料理。3階は良いけれども、1回は患者で一杯。インフルエンザの患者も増えているとか。

 明日は、ここ一番の冷え込みとか。参加は100人は超えそうだ。今も、申し込みは出していないけれど行ってよいですかの電話が今日だけで10本に。今回は、参加者が少ないと料理を減らしたけれども大丈夫だろうか心配だ。

 総会の司会を娘に頼んで、進め方の文章を作り、メールで送付。このご、新社会党の県本部の会議にでるために、元町まで自転車で移動。中央区には自動車は不要。自転車が快適。寒いけれども、移動が早い。街の様子もよくわかる。当たり前の生活を送っていたら、だんだん環境派に。そんなものかもしれない。明日は、後援会総会。寒いけれども多くの参加を願う。

2009年1月21日水曜日

生活保護制度を講義

 セーフテイネット研究会が20日開かれ、私が生活保護制度についてレポートしました。参加者10人程度。神戸ワーカーズユニオンの役員が中心でした。相談会を開くと、派遣きりなどで職を失った人が多く労働相談というよりは、生活相談が非常に多くなっているということでした。日本における最大のセーフティネットは生活保護制度と言うことで、今回の学習会になりました。

 生活保護制度は憲法25条に基づく制度で、生存権(憲法25条・国民は、健康で文化的な  最低限度の生活を営む権利を有する)を保障することが国の義務であり国民の権利であるとしています。そして、生活保護法第1条「この法律は、日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」とし、保護を国民の権利として、保障を国の義務とし、国家責任を明確化しています。

 したがって、基本原理に、保護請求権無差別平等の原理(法第2条)を定め、性別、社会的身分、生活の困窮に陥った原因の如何はいっさい問わず、経済的状態にのみ着目して保護を行うことを定めています。(戦前の救貧法などは・・不法、素行、勤労など怠ったものは対象にならず、差別扱いの原因になっていました)

 また、申請保護の原則として、申請を受ければ即保護しなければならないとしています。したがって、窓口で、相談にとどめてなかなか申請を受け付けないのはこんな背景があるからです。したがって、保護を申請する人は口頭で申請するか、あとでのトラブルを避けるため、様式は関係なく、手書きでも申請することを進めます。

 そして、必要即応の原則として、実施機関に、画一的な保護でなく個人の事情に即した保護を行うことを定めています。しかし、現状はケースワーカーの数に比べて、保護者の数が増え続け、1人で100件近くのケースをもっている例もあり、この原則に違反している自治体がほとんどです。

 保護の種類は ア、生活扶助、イ、教育扶助、ウ、住宅扶助、エ、医療扶助、オ、介護扶助、カ、出  産扶助、キ、生業扶助、ク、葬祭扶助 の8扶助で、医療扶助、かご扶助以外は現金で交付されます。
 
 事例では
 神戸市に住む35歳の一人暮らし (月収70000円、家賃43000円)の場合
   
83700円(生活扶助)+42500円(住宅扶助)=126200円(最低生活費)   70000円(月収入)-18600円(基礎控除)=51340円(控除後収入)   12600円-51340円=74860円(生活保護受給額)
 時間がなくなりました。またの機会に、いくつかの事例を紹介したいと思います。

2009年1月19日月曜日

2日間の新年会のはしごは疲れる

 昨日から、今日にかけて新年会のオンパレードだ。午前中はポーアイあざみ会、老人会だがエネルギーがある。70歳を超えると、元気な人は80歳、90歳になっても変わらない。気力なのか若いときに体を鍛えているからなのか、不思議なきがする。
 夜は、いさご旅館で春日野道商店街の2区の新年会。6時からだったが、7時から次の予定があり、1時間だけの参加に。主催者の配慮で、2時間で順番に出る料理を私だけは一気にだしてくれた。、残すわけにもいかず、わずかの時間で平らげたが、味がよかっただけに残念な気がした。

 今日は、朝は阪急春日野道で早朝行動。朝7時から8時30分まで。今日は雨上がりでだんだん暖かくなってきて、厚着してきたことを悔やむ。汗ばんでそのまま。こんなことを繰り返して風邪を引くのかと反省。
 12時からは医療生協東雲診療所の中央支部の新年会。二宮神社で、簡単に挨拶を済ませ、弁当をもらって、相楽園で開かれた中央区民新年の集いに参加。矢田市長の挨拶を聞く。少し疲れてるようで顔面に神経痛症状がでているようだった。今年は市長選挙で、自らの出馬問題などで大変なようだ。本人は、あまり再出馬したくないのではと感じる。
 中央区民新年の集いもだんだん住民の参加が減ってきている。このような経済状況で参加費4500円は高い。婦人会や自治会の主要メンバーなどはほとんど参加がない。神戸市の外郭団体や業界団体の参加者がほとんどだ。今後の持ち方も考えるときに来ているのではないか。
 とにかく、2日間にわたる新年会のはしごは疲れる。

2009年1月18日日曜日

震災から14周年



 昨日は朝5時に起床。自転車に乗って、東遊園地に急ぐ。東遊園地は報道陣の明かりで煌々と輝いていました。あの震災から5時46分で14年が過ぎることに。黙祷を行い、震災で亡くなった人、その後の避難生活でなくなった人、救援活動の疲労で亡くなった人などを追悼しました。特に、私は震災被災者を救うことをためらった国に対して、被災者を救うために市民議員立法づくりに奮闘してなくなった、小田まことさん、友人でがんと3年間壮絶に闘った佐々木康哲さんを弔ったろうそく立ての前で黙祷しました。


 その後、8時から新社会党の震災14周年アピールの街頭宣伝に参加。 10時からはポーアイの第3仮設の当時の住民たちとボランティア活動グループが一緒に企画した追悼集会に参加。その後、1時からは神戸市役所前を占拠した追悼・l抗議・連帯のつどいに参加。土曜日ということで今までになくたくさんの人々が集まる。特に、炊き出しも行っていることから、震災被災者だけでなく若者も目立つことから派遣切りの人々も。


 私は集会での挨拶で、「国の被災者を救わない震災対策に対し、自治体を上げて抗議の声をあげるべきだったのに、当時の市長が空港建設を国に認めてもらうために、国に対して弱腰であった」ことを批判し、更に「その姿勢は14年たった今も変わっていない。不況で苦しむ高齢者には敬老優待パスを有料化。市営住宅に住む被災者には家賃減免制度を改悪。市民を生活を守るべき自治体が逆の役割を果たしている。この秋に行われる市長選挙では市民派市長を擁立して、勝利させよう」と訴えました。


 朝、5時に起床して、家に帰りついいたのは夜の8時。長い1日が終了しました。1年ぶりに会った人々の顔が浮かび上がります。

2009年1月15日木曜日

田崎真珠にユニオンの旗が

 まず写真は、昨日のうちの団地の外壁崩落写真です。けが人が出なかったことが不幸中の幸いです。全棟の調査が肝要です。

 さて、今日は朝7時30分に田崎真珠本社前で、希望退職という名の指名解雇に抗議するビラ配布に参加しました。有名企業であるにも関わらず、組合もなく創業者のやりたい放題。

 結果は、左前になった外国ファンド会社の餌食。会社員のリストラの前に、当時の幹部役員の責任が求められるところです。何の反省もなく、希望退職の募集。しかも、希望退職とは名ばかりで、肩たたきが行われ、希望退職者も選別。体のよい指名解雇です。



 組合員は今は一人ということですが、相談にはたくさんの会社員がユニオンに訪れているということです。泣き寝入りでなく、憲法に保障された権利行使。それを企業を超えて支える・・・ユニオンて良いですね。

2009年1月14日水曜日

大忙しの1日

 私はポーアイのUR団地に住み、自治会会長もしています。なんと今日、URから電話があり、56号棟の外壁がはがれて落ちたというのです。安全策をとって、今原因究明中ということでした。どうやら、外壁にひび割れがありそこから雨水が入り、それがこの間の冷え込みで凍結したことが原因ではないかということでした。他の棟の外壁にも同じようなことがないのか早急な調査と回答を要求しました。
 
 今日は、朝からいろんな相談が舞い込みました。交通事故での弁護士依頼。神戸市の固定資産税新築減免が当局のミスの行われておらず、5年間も放置され、しかも時効で、いまさら請求できない問題。また、自動車販売会社でセールスを担当。売れない自動車産業の現状で、成績を求める会社の圧力で自腹を切って客を接待し、400万円もの借金を背負い、自己破産のそうだん。正月明けで、いよいよ市会議員活動全開というところか。

2009年1月13日火曜日

寒中、今年初めての早朝宣伝

 今日は、本当に寒い朝でした。
年末から年始にかけて、毎年恒例の支持者宅訪問が、8日で終了しました。
伺った支持者宅は約2000軒にもなりました。

 そして、今日が今年初めての早朝街頭宣伝です。朝7時から8時45分まで一人でハンドマイクでしゃべり続けました。「摂氏1度だよ。」と後で聞いて、びっくりしました。

 街宣中に「寒いでしょう、これをどうぞ」と熱い缶コヒーを差し入れていただきました。甘いコヒーは好きでないのですが、今日だけは手を温めることができて助かりました。感謝感謝。

 街頭宣伝の中身は、生活安定給付金の批判、派遣切り問題、衆議院選挙での原さんへの応援の呼びかけなどでした。

2009年1月12日月曜日

今日からブログはじめました。


 今日からブログはじめました。写真もふんだんに盛り込みたいと思います。

こうご期待です。「とことん市民の味方」。重いキャッチですが、私の市会議員としての初心です。

 私の日常活動を、これからご紹介したします。

  ホームページ「あわはら富夫言いたい放題」http://www.portnet.ne.jp/~awara/もご覧ください。